【アナザースカイ】中谷潤人はなぜ15歳でロサンゼルスへ?井上尚弥戦後に原点を訪ねる

15歳で単身渡米した中谷潤人選手がアナザースカイで原点のロサンゼルスを再訪する記事のアイキャッチ画像 アナザースカイ
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2026年8月15日放送の『アナザースカイ』に、プロボクサーの中谷潤人選手が出演しました。

今回、中谷選手が訪れたのは、15歳のときに単身で渡ったアメリカ・ロサンゼルス。

当時通っていたボクシングジムを再訪し、15歳から指導を受けてきた恩師ルディ・エルナンデスさんや、中谷選手を家族のように迎えてくれた人たちとの深い絆が紹介されました。

2026年5月2日には、井上尚弥選手との“世紀の一戦”でプロ初黒星を経験した中谷選手。

しかし番組で語られた「5月2日は節目だった」という言葉からは、敗戦だけにとらわれるのではなく、その先を見据えていることが伝わってきました。

さらに7月22日には結婚を発表。今回のロサンゼルスには奥さんも同行しており、人生の大きな節目を迎えた今だからこその旅だったようにも感じます。

今回は、中谷潤人選手がなぜ15歳でロサンゼルスへ渡ったのか、当時通ったメイウッドボクシングジムや恩師との出会い、井上尚弥戦、そして第二の故郷ともいえるLAで築かれた人々との絆について紹介します。

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アナザースカイで中谷潤人がロサンゼルスへ

『アナザースカイ』で中谷潤人選手が訪れるのは、アメリカ・ロサンゼルスです。

番組公式SNSでは、中谷選手について、

  • 15歳のときに単身でロサンゼルスへ留学
  • 当時よく通ったボクシングジムを再訪
  • 練習帰りに立ち寄ったファストフード店へ
  • 恩師と再会

することが予告されています。

現在では世界トップクラスのボクサーとして知られる中谷選手ですが、その原点のひとつがロサンゼルスにありました。

世界王者になってから初めて訪れた場所ではなく、まだ何者でもなかった15歳の頃から自分を鍛えてきた場所。

今回の『アナザースカイ』は、中谷潤人選手の強さがどのように作られていったのかを知る旅にもなりそうです。

中谷潤人はなぜ15歳でロサンゼルスへ?

中谷潤人選手が初めてロサンゼルスへ渡ったのは15歳のときでした。

まだ高校生になる頃の年齢で、親元を離れて一人で海外へ渡るというのは、かなり大きな決断だったことが想像できます。

しかも目的は観光や一般的な語学留学ではなく、ボクシング。

本場の環境でボクシングを学び、自分自身を成長させるための渡米でした。

中谷潤人がロサンゼルスを選んだ理由

中谷潤人選手は、中学生の頃から本格的にボクシングに取り組み、さらに強くなるために海外へ目を向けました。

中谷選手がロサンゼルスを選んだ理由は「ルディ・エルナンデスさんに教えてもらうため」だったと語られました。

ルディ・エルナンデスさんは、畑山隆則、伊藤雅雪など、歴代日本人チャンピオンも指導してきたトレーナーです。

10代という早い時期から、そのようなトレーナーに教えてもらう経験は、その後の中谷選手の成長に大きな影響を与えたと考えられます。

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15歳で単身渡米した行動力がすごい

15歳といえば、多くの人が進学先について考えている時期です。

そんな年齢で中谷選手は、日本を飛び出してアメリカのボクシング環境に身を置く道を選びました。

今回の番組では、15歳だった中谷選手は「何のために高校に行くのかっていうのを見いだせなかった」「ボクシングをしたかった」と当時を振り返っていました。

現在の実績を知ってから振り返ると華々しい「海外修行」に見えますが、当時はまだ将来世界王者になれる保証などなかったはずです。

言葉や文化も違う環境で練習を続けた経験そのものが、現在の中谷選手の土台になっているのかもしれません。

中谷潤人が通っていたロサンゼルスのジムはメイウッドボクシングジム

今回の『アナザースカイ』では、中谷潤人選手が15歳で渡米した頃に通っていたボクシングジムも再訪します。

中谷潤人選手が15歳で単身渡米した際に拠点のひとつとして通い始めたジムは、ロサンゼルス中心部から南東へ約10km〜12kmに位置する「メイウッドボクシングジム」です。

治安はあまりよくない、とも紹介されていました。

世界チャンピオンを含む様々な人種のレベルの高い選手が10人~20人単位で居たジム。

「いろんな選手に対応できる自分を使ってくれたなって思います」と振り返る中谷選手。

現在も中谷選手はロサンゼルスで合宿を行うなど、現地でトレーニングを続けています。

15歳の少年だった頃から世界トップクラスのボクサーとなった現在まで、中谷選手にとってロサンゼルスは大切なトレーニング拠点であり続けているようです。

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ロサンゼルスで恩師ルディ・エルナンデスと再会

今回の『アナザースカイ』では、中谷潤人選手を15歳の頃から指導してきた恩師との再会も紹介されます。

中谷選手の長年のトレーナーを務めているのが、ルディ・エルナンデス氏です。

中谷選手が15歳でアメリカへ渡った頃から指導を受けており、世界3階級制覇を成し遂げるまで、長年にわたって中谷選手のボクシング人生を支えてきました。

ルディ氏は自身も元プロボクサーで、引退後はトレーナーとして活躍。

世界王者となった弟のヘナロ・エルナンデス氏をはじめ、日本人ボクサーの世界挑戦や海外進出にも携わってきた名トレーナーです。

そんなルディ氏は、中谷選手がまだ世界王者になるはるか前、15歳の少年だった頃からその才能を高く評価していました。

単に技術を教えるトレーナーというだけではなく、中谷選手が世界のトップボクサーへ成長していく過程を間近で見続けてきた人物です。

2026年5月の井上尚弥選手との一戦でも、ルディ氏は中谷選手のトレーナーとしてチームを支えました。

プロ初黒星を経験した中谷選手が、その約3か月後に原点であるロサンゼルスを訪れ、長年二人三脚で歩んできた恩師とどのような言葉を交わすのか。

一言目は、”Hey, Junto! Long time no see you, How are you?” でした。

5月に会って、7月に収録だったようですが、久しぶり、というルディさんの笑顔が本当の家族のようにも見えました。

ルディさんは、「世界チャンピオンになりたい」という中谷選手のことを、当時を振り返って以下の様に言っていました。

  • 嫌だ、やりたくない、とは絶対に言わない。
  • 何でも受け入れていた。
  • 何よりナイスガイ。いつも笑顔で本当に優しいと皆が言う。
  • でもリング上では別人になる。
  • 潤人は私が育てた選手の中で、最高の選手。
  • 私は彼が強くなるきっかけを提供しただけ。

中谷選手自身も、指導してもらったことをいかに瞬時にできるか、毎日が勝負だったと言っていました。

ボクシングが大好きで、本当にストイックなのが伝わるコメントでした。

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練習帰りに通ったメキシコ料理店「El Pollo Loco(ポロロコ)」も再訪

番組では、ボクシングジムだけでなく、中谷潤人選手が練習帰りに立ち寄っていたメキシコ料理店の「El Pollo Loco(ポロロコ、下のインスタ画像3枚目)」も登場します。

チキンアボカドブリトーを久々に食べて「うん、美味しいです」「変わらない味」という中谷さん。

ルディさんの父(中谷選手はおじいちゃん、と呼んでいました)が毎回練習後に連れてきてくれたそうです。

こうした場所が紹介されるのも『アナザースカイ』の面白いところですよね。

世界王者としての華やかな姿だけではなく、15歳だった中谷選手がどんな毎日を送っていたのかが少し垣間見ることができた気になりました。

ロサンゼルスを訪れる際には、中谷潤人選手の足跡をたどる「聖地巡礼スポット」としても注目されるかもしれないですね。

また、これまでストイックにボクシングに向き合ってきたため、LAではやったことがなかったという趣味の海釣りも、レドンドビーチ(上のインスタ画像4枚目)で楽しまれていました。

ルディさんの父・ルドルフォさんとの絆「コミダ」の意味は?

さらに、ルディさんの父ルドルフォさんは、中谷選手の海外での生活を助けてくれた人としても紹介されました。

いつも一緒に立ち寄るメキシコ料理店では、当時は注文スタイルはNo.で伝える形式。

いつも注文する9番と12番。

ルドルフォさん(おじいちゃんと中谷選手は呼んでいた)とは、中谷選手の注文内容で、合い言葉を使って遊んでいたようです。

  • No.9・チキンアボカドブリトー:ジャブ
  • No.12:右アッパー
  • コミダ(スペイン語で食事という意味):ボディストレート

家族同然にサポートしてくれたルドルフォさん。

大一番の前にはLAで合宿をしているという中谷選手ですが、毎回LAにくると、おじいちゃんとファーストコンタクトでNo.9/12、コミダをミッドみたいな形でやってくれて、子どものようにかわいがってくれていたと紹介されました。

親切で温かい心を持ってて、寛大に受け入れてくれた、おじいちゃんみたいな存在のルドルフォさん。
実は、2026年2月28日にお亡くなりになっていたそうです。

訃報が届いたのは、大一番の目前だったのです。
トレーニングのあと家に帰らずにそのまま国際線でLAまで来て、お別れをしたと明かされました。

そして、おじいちゃんとの合い言葉「COMIDA(コミダ)」を、トランクスの後ろに入れて、5月2日の井上尚弥戦に臨んだ中谷選手。

「一緒に闘う。」

「力を、おじいちゃんにも貸して欲しいなっていう想いで入れさせてもらいました」

と語られました。

「コミダ」に込められた想いや、その言葉からうかがえる絆はとても深いものだったのです。

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中谷潤人は井上尚弥戦でプロ初黒星

今回の『アナザースカイ』を語るうえで外せないのが、2026年5月2日に東京ドームで行われた井上尚弥選手との一戦です。

世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥選手と中谷潤人選手による、世界中から注目されたビッグマッチ。

12ラウンドを戦い抜いた末、中谷選手は判定で敗れました。

中谷選手にとっては、プロ33戦目にして初めて経験する敗戦となりました。

中谷選手は井上選手ことを「すべてのパンチで倒せるパンチを持っている」と言及した上で、「5月2日は駆け引きを楽しめた」と語っていました。

パンチを受けても「試合中はそこまで痛くない」とのことも、井上選手との闘いで受けた左目のアッパーは「ちょっと痛かったです」と明かされました。

そして、「5月2日までの自分自身っていうのは表現できたと思ってます」とのことでした。

それまでプロのリングで負けを知らなかった中谷選手。

番組では、プロに転向する直前に敗戦を喫した試合会場に足を運んだ様子も紹介されました。
その時の試合では、自分自身を表現しきれなかった思いがあったそうです。

負けた後、日本の家族に電話した際、父からかけられた「何のためにLAにきているのか」という言葉。
中谷選手は、厳しさの中にもしっかりと愛情を感じたと振り返り、今もその言葉を胸に留めているそうです。

過去のNumber Webでは、留学費用を両親が負担し、家族総出で中谷選手のボクシング人生を支えてきたことが報じられています。

留学費用を両親が負担し、家族総出で中谷選手の挑戦を支えていたことが過去のNumber Webでも報じられています。

また当時は就労ビザを取得できなかったため、3か月ごとに一時帰国して再び渡米する生活を1年以上繰り返していました。

15歳の中谷選手を送り出した家族にも、そしてその期待を背負ってLAでボクシングに打ち込んだ中谷選手自身にも、相当な覚悟があったのだと思います。

プロ転向直前に負けた経験から、「『プロで絶対に負けない』という強い気持ちを持ってプロの世界に入れたことは良かった」とのことで、プロ転向後は無敗で迎えた5月2日でした。

世界の頂点を争う舞台で初黒星を経験したことは、ボクサーとして大きな転機になったのではないでしょうか。

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井上尚弥戦という節目を経て「原点」ロサンゼルスへ

そして井上尚弥選手との一戦から約3か月。

中谷潤人選手が『アナザースカイ』で訪れるのが、15歳で単身渡米したロサンゼルスです。

世界の頂点を目指して走り続けてきた中谷選手が、初めて負けたあとに、まだ15歳だった自分が夢を追いかけていた場所へ戻る。

中谷選手は、「5月2日は節目だった」と振り返っておられました。

さらに、7月22日には、アナザースカイのロケに一緒に参加された奥さんとの結婚発表をされています。

負けたことが節目だったのではなく、無敗の日本人選手2人が世界の頂点を争うという大きな舞台で闘えたこと。
それ自体が、中谷選手のボクシング人生にとって「大きな節目」だったのではないかと、番組をみていて感じました。

その節目までこれたからこそ、アナザースカイにも出演されただろうし、ご結婚の発表もされるに至ったのだろうと感じました。

番組収録では現場に奥さんも来ていたそうです。

これまでの人生ではボクシングだけを最優先に取り組んでいたことも明かされました。

そして、大きな節目の後の休暇中に、ロサンゼルスを再訪されました。

これまでストイックに楽しみごとをしない選択をしつづけてきた中谷選手。

今回のアナザースカイでは、趣味の海釣りを初めてLAで楽しむことができたことも印象的でした。
また、奥さんと一緒に訪れるロサンゼルスは、自分の第二の故郷を見せたり、第二の家族に会ってもらう、という意味合いもあったのではないでしょうか。

そして、中谷選手は、これからの目標は「パウンド・フォー・パウンドで1位になりたい」ということだと明かされました。

「Pound for Pound」とは、アメリカのボクシング誌「ザ・リング」が発表する階級を超えたランキングで、中谷選手は現在7位ですが、今の1位は井上尚弥選手。

1位になりたい、と穏やかに語る口調がとても印象的でした。

中谷潤人は井上尚弥との再戦を目指す?

井上尚弥選手との試合後、中谷潤人選手の今後にも大きな注目が集まっています。

Googleの検索候補でも「中谷潤人 井上尚弥 再戦」「中谷潤人 井上尚弥 どっちが強い」などが見られ、それだけ世紀の一戦への関心が続いていることが分かります。

12ラウンドを戦い、判定負けとなってしまいましたが、判定での負けであっただけに、次は勝つ、という想いがあるのでは、と思ってしまいました。

一度敗れたからこそ、ここから中谷選手がどのように再起していくのか。

そして将来的に井上選手との再戦が実現するのか。

井上選手との再戦について、番組内で具体的に語られたわけではありません。

ただ、中谷選手が掲げた次の目標は「パウンド・フォー・パウンドで1位になること」。

現在その頂点に立つ井上尚弥選手と一度拳を交えた中谷選手が、この目標をどのように実現していくのか。

再戦が実現するのかも含め、今後の歩みに注目したいと思います。

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まとめ

今回は、『アナザースカイ』に出演する中谷潤人選手について、15歳で単身ロサンゼルスへ渡った理由や、井上尚弥選手との試合後に原点を訪れる意味についてまとめました。

中谷選手にとってロサンゼルスは、世界王者になってから出会った場所ではありません。

まだ15歳だった少年が、強くなるために日本を飛び出し、世界への第一歩を踏み出した場所です。

そして2026年5月、中谷選手は井上尚弥選手との大一番でプロ初黒星を経験しました。

その約3か月後に訪れる、自身の原点。

大きな節目を終えて、その次の目標や生活に向かっていくための、大切な「充電期間」になったのではないでしょうか。

大切にしている言葉は「感謝」だという中谷選手。

「人に恵まれていた」と語っていましたが、番組を見ていると、周囲に中谷選手を大切に思う人がたくさんいることが伝わってきました。

そして、それは中谷選手自身が人との縁を大切にしてきたからこそなのかもしれません。

リング上で鋭く的確なパンチを繰り出す姿とはまた違う、柔らかな言葉で穏やかに語る中谷選手の温かい人柄が印象に残る『アナザースカイ』でした。

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