2026年8月24日放送の『しゃべくり007』に、バスケットボール日本代表の八村塁選手が出演します。
番組では、八村塁選手が育った富山県で学生時代を徹底取材。
中学時代の同級生や恩師も登場し、バスケットボールを始めた頃から、高校日本一になるまでの八村選手の知られざる姿が紹介されます。
今では世界を舞台に活躍する八村選手ですが、意外にもバスケットボールを始めたのは中学生になってから。
しかも小学生時代は野球少年で、投手をしようにも「球が速すぎて受けられる捕手がいなかった」という驚きのエピソードまで残っています。
一方で、中学時代には「ヤンキーに誘われていた」という話も。
八村塁選手はどんな学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
出身中学・高校とともに、バスケットボールとの出会いや、朝早くから自主練習に励んでいた中学時代について紹介します。
八村塁の出身中学・高校はどこ?
八村塁選手の出身中学・高校はこちらです。
- 出身中学校:富山市立奥田中学校(富山県)
- 出身高校:明成高等学校(宮城県・現在の仙台大学附属明成高等学校)
富山県で生まれ育った八村選手は、地元の奥田中学校へ進学。
そこで初めて本格的にバスケットボールを始めました。
中学3年生では奥田中学校を全国中学校バスケットボール大会へ導き、準優勝。
卒業後は親元を離れて宮城県のバスケットボール強豪校・明成高校へ進学し、高校日本一を経験しています。
その後はアメリカのゴンザガ大学へ進学し、NBAへ。
こうして見ると、幼い頃からバスケットボール一筋だったようにも感じますが、実際にはそうではありませんでした。
八村選手が最初に夢中になったスポーツは、バスケットボールではなく野球だったのです。
八村塁は小学生時代は野球少年!球が速すぎて捕手がいなかった?
八村塁選手は、小学生時代に「奥田少年野球クラブ」で野球をしていました。
ポジションは捕手で4番。
今の体格や身体能力を考えると、少年時代から活躍していたことにも納得してしまいます。
しかし、なぜ捕手だったのでしょうか。
実は八村選手には、投手の練習をしたこともありました。
ところが当時の監督によると、八村選手の投げるボールは速いだけでなく非常に重く、同年代の捕手が手を痛がるほどだったそうです。
少しコースがずれると捕球することも難しく、**「球に威力がありすぎて投手にできなかった」**という、なんとも規格外な理由でした。
キャッチボールの相手も子どもではなく、監督やコーチなど大人が務めていたといいます。
そのため八村選手自身が捕手を担当。
さらに強肩だったため、八村選手が鋭い送球を見せると、相手チームが盗塁を仕掛けなくなったというエピソードも残っています。
八村選手は陸上でも才能を発揮しており、小学生時代には100m走の富山県大会で優勝した経験もあります。
もしそのまま野球を続けていたら、別のスポーツで世界を目指していた可能性もあったのかもしれませんね。
しかし小学6年生の夏、股関節に成長痛を発症。
半年以上野球から離れたまま卒業し、奥田中学校へ進学しました。
ここで八村選手の人生を大きく変える、バスケットボールとの出会いが訪れます。
八村塁は奥田中学校でバスケを始めた
意外なことに、中学校へ入学した当初の八村塁選手は、バスケットボールをするつもりはなかったそうです。
むしろ本人は過去に、
「バスケなんか全然やる気なかった」
と振り返っています。
野球から半年以上離れていたこともあり、中学校へ入った頃には「スポーツなんていいや」と思っていたのだとか。
そんな八村選手に目をつけたのが、奥田中学校バスケットボール部の坂本穣治コーチでした。
坂本コーチは八村選手の同級生たちに、なんとか一度練習へ連れてくるようお願いしたといいます。
バスケを始めたきっかけはアイスクリーム?
八村選手をバスケ部へ連れてくるため、坂本コーチが同級生たちに伝えた言葉も面白いものでした。
八村選手が欲しがるものなら何でもいい、アイスクリームでもごちそうして一度連れてきてほしい――という趣旨だったそうです。
その熱心な勧誘によって、八村選手はようやくバスケットボール部の練習へ参加。
最初はバスケットシューズすら持っておらず、外履きで練習に参加したという話もあります。
現在の八村塁選手からは想像できませんが、当時はバスケットボール初心者。
ポジショニングすら分からないところからのスタートでした。
ところが、その身体能力を見た坂本コーチは八村選手に、
「NBA選手になれる」
という大きな目標を示します。
まだバスケットボールを始めたばかりの中学生に「NBA」。
普通なら途方もない話に聞こえそうですが、八村選手はここから本当にNBAを目標にするようになりました。
八村塁がヤンキーだったという噂は本当?
八村塁選手の中学時代について調べると、「ヤンキーだった?」という話題が出てくることがあります。
しかし、八村塁選手自身がヤンキーだったという事実が確認されているわけではありません。
この噂につながったと考えられるエピソードの一つが、奥田中学校の2学年先輩であるバスケットボール選手・馬場雄大選手との会話です。
2020年に2人が中学時代を振り返った際、馬場選手は八村選手に対して、
「ヤンキーにお前が引っ張られないように俺は頑張った」
という趣旨の話をしています。
これに対して八村選手は、
「勧誘されてただけです」
と返していました。
つまり八村選手がヤンキーだったというより、中学生だった八村選手が周囲から誘われることがあり、それを先輩の馬場選手が気にかけていたというのが実際のエピソードに近そうです。
馬場選手は、八村選手が優しく、なおかつ体格もよかったため、悪い方向へ行かないように気にしていたことも明かしています。
八村選手自身も馬場選手に「助けてもらった」と振り返っています。
もし八村選手があのときバスケットボールと出会っていなかったら――。
現在とはまったく違う人生を歩んでいた可能性もあったのかもしれません。
最初から練習熱心だったわけではなかった
八村塁選手は、最初からバスケットボールに高いモチベーションを持っていたわけではありません。
以前、八村塁選手の県民スポーツ栄誉賞について放送された際には、恩師から興味深いエピソードも紹介されていました。
当時、八村選手のバスケットボールへのモチベーションを高めるため、「3,000円ほどのお小遣い」を渡したという主旨のエピソードも紹介されていました。
コーチはそうした工夫もしながら、八村選手のメンタル面や技術面での成長を支えていたことが紹介されていました。
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最初は周囲に誘われて始めたバスケットボール。
しかし、次第に八村選手自身が競技に夢中になっていきます。
八村塁は朝早くから自主練!バスケに夢中になった中学時代
最初は「バスケなんか全然やる気なかった」と話していた八村塁選手。
ところが、いったんバスケットボールを始めると、その取り組み方は大きく変わっていきました。
同級生には小学生の頃からミニバスケットボールをしていた選手も多く、初心者だった八村選手は当然、技術面では周囲に及びません。
そこで八村選手は、朝早く体育館へ行ってフリースローなどの自主練習を繰り返すようになったそうです。
部活動が休みの日にも、友人と近くの体育館へ行って練習。
恵まれた身長や身体能力だけに頼るのではなく、初心者だった分を自分で埋めようとしていたことが分かります。
その努力もあって、八村選手は急速に成長。
中学2年生の秋には、全国から選ばれた選手が集まる「U-14男子トップエンデバー」に選出されました。
そして中学3年生では、奥田中学校を全国中学校バスケットボール大会へ初出場させ、全国準優勝。
バスケットボールを始めて、わずか3年ほどの出来事です。
「バスケをやる気がなかった」という中学1年生が、朝早くから自主練習するようになり、全国大会で準優勝する選手へ。
八村塁選手の才能はもちろんですが、夢中になってからの努力もまた、現在につながる大きな要素だったのでしょう。
八村塁は明成高校へ!高校日本一の選手に成長
奥田中学校を卒業した八村塁選手は、宮城県のバスケットボール強豪校・明成高等学校へ進学しました。
現在の校名は「仙台大学附属明成高等学校」です。
富山を離れ、本格的に全国トップレベルの環境へ。
高校時代の八村選手は1年生から主力として活躍し、ウインターカップでは高校1年から3年まで3連覇を経験しています。
高校最後となった2015年のウインターカップ決勝では、34得点19リバウンドという圧倒的な数字を残し、明成高校を優勝へ導きました。
中学校に入学した頃には、スポーツそのものを続けるか迷っていた少年。
それが中学でバスケットボールと出会い、高校では日本一、さらにアメリカのゴンザガ大学へ進み、NBA選手になりました。
振り返ってみると、八村塁選手の学生時代は、「最初からバスケットボールのエリートだった」という言葉では語れない道のりだったことが分かります。
【しゃべくり007】八村塁の同級生・恩師が明かした学生時代
※2026年8月24日の『しゃべくり007』放送後に追記します。
番組では、八村塁選手が育った富山県で学生時代を徹底取材。
中学時代の同級生や恩師らから、当時の八村選手についてさまざまなエピソードが明かされる予定です。
また、八村選手をバスケットボールへ誘った同級生も登場。
バスケをする気がなかった少年が、なぜバスケットボールに夢中になっていったのか。
放送で新たに明かされた学生時代のエピソードについて、追記していきます。
※『しゃべくり007』で10年ぶりに再会する八村塁選手の「初恋の相手」については、別記事で詳しく紹介しています。
まとめ|八村塁の学生時代はバスケとの出会いで大きく変わった
今回は、八村塁選手の出身中学・高校と、学生時代について紹介しました。
- 出身中学校は富山市立奥田中学校
- 出身高校は明成高校(現・仙台大学附属明成高等学校)
- 小学生時代は野球少年で「捕手で4番」
- 投手をするには球が速く重すぎて、同年代では捕球が難しかった
- 中学入学当初はバスケットボールをする気がなかった
- 「ヤンキーだった」のではなく、周囲から誘われていたというエピソードがある
- バスケを始めると朝早くから自主練習に励んだ
- 中学では全国準優勝、高校では日本一を経験した
小学生時代には野球で規格外の身体能力を発揮しながら、中学校へ入った頃にはスポーツから離れることも考えていた八村選手。
しかし、同級生や恩師との出会いをきっかけにバスケットボールを始めると、朝早くから自主練習を重ねるほど夢中になっていきました。
そして中学で全国準優勝、高校で日本一、さらにアメリカへ渡りNBAへ。
八村塁選手の学生時代を振り返ると、持って生まれた身体能力だけではなく、人との出会いと、目標を見つけてから積み重ねた努力が現在につながっていることが分かります。
『しゃべくり007』では、そんな八村選手の学生時代について、同級生や恩師からどんな話が飛び出すのか楽しみですね。
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