2026年8月14日の「金曜ロードショー」で、『風の谷のナウシカ』が放送されます。
映画が公開されたのは1984年。
それから40年以上が経ちました。
インターネットが世界をつなぎ、誰もがスマートフォンを持ち、今ではAIと普通に会話をする時代です。
40年前には想像できなかったほど、世界は進歩しました。
でも、ふと思います。
人間そのものは、40年前からどれくらい変わったのでしょうか。
私は子どもの頃から『風の谷のナウシカ』が大好きでした。
映画の台詞を覚えて姉と遊び、メーヴェに乗りたくてたまらなかった子ども時代。
原作漫画も大好きで、人に貸したまま戻ってこなかったことが2回。現在持っているものは、なんと3代目です。
それくらい何度も触れてきた作品ですが、大人になった今見るナウシカは、子どもの頃とはまったく違って見えます。
今回は、40年以上前に生まれた『風の谷のナウシカ』を、なぜ今も私たちは見るのか。
そして、科学や社会が大きく進歩した今、ナウシカが描いた「人間」は変わったのか。
長年この作品が大好きな一人として、考えてみたいと思います。
子どもの頃のナウシカは「メーヴェに乗りたい!」だった
子どもの頃の私にとって、ナウシカはまず、とにかくかっこいい存在でした。
風を読み、メーヴェで空を飛び、蟲を恐れず、人にも蟲にも分け隔てなく向き合う。
「私もメーヴェに乗りたい!」
本気でそう思っていました。
映画は何度見たかわからないほどで、台詞を覚えて姉とナウシカごっこをして遊んでいたほどです。
当時は、作品に込められた思想や戦争について深く考えていたわけではありません。
それでも、不思議と子どもなりに感じ取っていたものがありました。
その一つが、巨神兵でした。
巨神兵を「怖い」と思ったことがなかった
『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵は、かつて「火の七日間」で世界を焼き尽くしたとされる、とてつもなく恐ろしい存在です。
ところが私は、子どもの頃から巨神兵をあまり「怖い」と思った記憶がありません。
むしろ、かわいそうだと思っていました。
長い時間を経て一人だけ残され、人間に見つけられ、奪い合われ、利用される。
まだ十分に身体ができあがっていないのに、人間の都合で無理やり目覚めさせられ、戦うことを求められる。
そして、その姿を人間から恐れられる。
映画の巨神兵を見ながら、子どもの私は「この子が悪いわけじゃないのに」と感じていたのだと思います。
大人になった今見ると、その感覚にはまた違った意味が加わります。
恐ろしいのは兵器そのものなのか。それとも、それを生み出し、奪い合い、利用する人間なのか。
巨神兵を見ると、そんなことまで考えてしまいます。
映画だけではわからない『ナウシカ』の世界
映画『風の谷のナウシカ』しか知らない方には、ぜひ一度、宮崎駿さんによる原作漫画も読んでほしいと思います。
映画では、腐海と人間との関係や、ナウシカが王蟲によって救われる場面などから、「自然との共生」を描いた作品という印象を持つ方も多いかもしれません。
しかし、原作はそのはるか先まで続きます。
物語が進むにつれて描かれていくのは、国家同士の戦争、宗教、民族、科学、生命、そして人間そのもの。
誰が善で誰が悪なのか、簡単には分けられなくなっていきます。
ナウシカ自身も、ただ優しく清らかなだけの主人公ではありません。
怒り、迷い、傷つきながら、それでも自分で考え、選び続けます。
そして物語の最後には、「人類の未来」に関わる非常に大きな選択をすることになります。
※ここからは原作漫画の結末に触れます。
原作の最後でナウシカが壊した「用意された未来」
原作の終盤で明らかになるのは、ナウシカたちが生きている世界そのものが、旧世界の人類によって大きく作り変えられていたという事実です。
腐海もまた、汚染された大地を浄化していく仕組みの一部でした。
さらに「シュワの墓所」には、浄化された未来の世界を生きるための新しい人類につながるものや、旧世界の知識や技術が保存されています。
そこには、争いや苦しみを乗り越えた、より穏やかな人間の未来まで用意されていました。
一見すると、それは素晴らしい計画にも思えます。
戦争をしない。
争わない。
穏やかで、賢く、善良な人間が生きる世界。
それが実現するなら、その方がいいのではないか。
しかし、ナウシカはその未来を受け入れませんでした。
墓所を破壊し、あらかじめ誰かによって設計された未来ではなく、今を生きる生命とともに、不確かな未来へ進むことを選びます。
この選択を、私は大人になればなるほど重く感じるようになりました。
「善良な人間」を作れば世界は平和になるのか
争いのない人間を作る。
文字だけを見れば、とても魅力的です。
戦争も憎しみもなくなるのなら、それでいいではないかとも思います。
でも、それは誰が決めた「善良」なのでしょうか。
何を考え、何を愛し、何に怒り、どんな社会を作るのか。
そこまで誰かに設計された存在を、私たちと同じ意味で「人間」と呼べるのでしょうか。
ナウシカが選んだのは、完璧な人間だけが生きる約束された未来ではありませんでした。
人は間違える。
争う。
憎むこともある。
それでも、愛したり、誰かを守ったり、間違いに気づいて選び直したりすることもできる。
そんな矛盾を抱えた生命そのものを肯定する選択だったように、私は感じています。
40年以上で世界は進歩した。でも人間は変わった?
『風の谷のナウシカ』の映画が公開された1984年から、40年以上が経ちました。
この間、世界は驚くほど変わりました。
インターネットによって世界中の情報を瞬時に知ることができ、スマートフォン一つで遠く離れた人と顔を見ながら話せます。
医療や科学も進歩しました。
そして2026年の今は、AIと会話をし、車の自動運転も可能になりました。
かつてSFの中にあったような世界を、私たちは実際に生きています。
それなのに。
世界から戦争はなくなっていません。
国や民族、宗教、思想などをめぐって人は対立し、「自分たちこそ正しい」という主張が、別の誰かを傷つける理由になることもあります。
技術は大きく進歩した。
けれど、人間そのものはどれだけ進歩したのだろう。
ナウシカを見ていると、そんな問いを突きつけられているように感じます。
終戦の日を前に、ナウシカを見て思うこと
今回『風の谷のナウシカ』が放送される2026年8月14日は、終戦の日の前日でもあります。
この放送日が終戦の日を意識して決められたものなのかはわかりません。
ただ、この日にナウシカを見るからこそ、私は戦争についても考えずにはいられません。
ナウシカの世界でも、人々はそれぞれに守りたい国や家族や暮らしを持っています。
それでも戦争が始まれば、人は敵と味方に分けられていきます。
そして、より強い力を手に入れようとする。
巨神兵さえも、その中で利用されていきます。
40年以上前に描かれた物語なのに、今の世界から遠く離れた話には思えません。
それでもナウシカは人間を見限らなかった
ここまで考えると、『ナウシカ』は「人間は愚かだ」という絶望の物語にも見えてきます。
でも私は、そうではないと思っています。
ナウシカは、人間を見限ったから墓所を破壊したのではありません。
むしろ、不完全な生命に未来を託したのではないでしょうか。
正しい未来を誰かに保証してもらうのではなく、自分たちで迷い、間違え、ときには争いながら、それでも未来を選んでいく。
それは、とても怖い選択です。
でも同時に、人間を信じなければできない選択でもあるように思います。
40年以上経った今も戦争はなくなっていません。
人間は、ナウシカが描かれた頃から大して変わっていないのかもしれません。
それでも、誰かを助けようとする人がいる。
戦争を止めようとする人がいる。
過去から学ぼうとする人がいる。
そして次の世代に、少しでも良い世界を渡そうとする人がいる。
だからこそ、ナウシカが選んだ「不完全な私たちが生きる未来」は、まだ続いているのだと思います。
『ナウシカ』を夏休みの読書感想文の推薦図書にしたい
私は『風の谷のナウシカ』の原作漫画を、夏休みの読書感想文の推薦図書にしてほしいくらいだと思っています。
環境問題について考えてもいい。
戦争について考えてもいい。
巨神兵について書いてもいい。
ナウシカの最後の選択について「私は反対だ」と書いたっていい。
正義とは何なのか。
科学の進歩とは何なのか。
人間らしさとは何なのか。
未来を誰が決めるのか。
読む人によって、まったく違う感想が生まれる作品だからです。
ノベライズ作品もありますが、やはり原作漫画は格別だと感じます。
そして、中学生や高校生で読んだときと、大人になってから読んだときでは、おそらく見えるものも変わります。
私自身、子どもの頃はメーヴェに乗りたくてたまりませんでした。
巨神兵を見て、「怖い」よりも「かわいそう」と思っていました。
そして大人になった今は、ナウシカが最後に選んだ未来について考えています。
同じ作品なのに、自分が生きてきた時間によって、こんなにも見え方が変わる。
それも『風の谷のナウシカ』が40年以上愛され続けている理由の一つなのかもしれません。
まとめ|なぜ今『風の谷のナウシカ』なのか
1984年から40年以上。
世界は大きく進歩しました。
けれど、戦争はなくならず、人間は今も争い、迷い、間違えながら生きています。
だからこそ、私は今、『風の谷のナウシカ』をもう一度見る意味があるように感じます。
この作品が提示しているのは、完璧な未来への答えではありません。
むしろ、
「不完全な人間に、それでも未来を託せるのか」
という問いなのかもしれません。
子どもの頃、メーヴェに乗りたいと思いながら夢中で見ていたナウシカ。
40年以上経った作品を大人になった今も見続け、こんなことを考えるとは、当時の私は想像もしませんでした。
そして今度は、この作品を今の子どもたちにも読んでほしいと思っています。
2026年の世界を生きる子どもたちは、ナウシカの選択をどう感じるのでしょうか。
その答えを聞いてみたい気がします。


コメント